特に、単に知っている知識の量で判断されるものではない。知識は仕事の上で生かすことができてこそ評価される。
知識を生かすと言うことは、まず説明能力である。例えば、トラブルが発生した場合に、どこまで知識で説明できるかと言う話である。理工系の場合には、『失敗学』で取り上げている事例を見れば、学校で学んだ知識を以下に活用して説明するかを理解できる。
文系なら、例えば今の雇用の状況について、ケインズの経済学なら、
「人々が金を使わず消費意欲が少なくなったためである」
と言う説明がある。このように自分の知識で今あるモノを説明することが第一歩である。
次に知識を生かすことは、予測である。予測と言っても大仰なモノでなく、例えば安全で言うハインリッヒの法則も、予測の一つである。
ハインリッヒの法則:「重傷」以上の災害が1件あったら、その背後には、29件の「軽傷」を伴う災害が起こり、300件もの「ヒヤリ・ハット」がある。
これを使えば、一つの「ヒヤリ・ハット」事故から、大事故を予測することができる。また別の応用では、整理整頓などをきちんとすることで、事故予防につながるという発想になる。なお、理論を使って、市場動向や技術動向を予測することができればもっと望ましいが、とりあえず安全のための禁則的な予測でも役に立つ。
知識の世界の中で、推論して結果が出るなら、それは一つの望ましい形である。理系の学問や、経済学などの社会科学は、その中で「原因―結果」の関係を導き出すことができる。ここで数学的な体系を使う工学などの場合と、定性的な因果関係となる社会科学系の2つのパターンがある。特に工学系では、前提が満たされれば結果が確定することが多い。一方、経済の話などは、理論の導く結果は、外れることも多い。但し、工学の理論でも、外れる可能性があることは、きちんと考慮しないといけない。
一般にこのような推論を行うためには、理論を学ぶときに、原因―結果の関係を、教科書の指示に従い自分で導き出す経験をすることが大切である。
思考実験と言うものがある。モノの動きや働きを、頭の中でシミュレーションする。その場合モノの機能は、理論的に作る場合もあるし、経験的に作る場合もある。この場合は、理論体系化された知識だけでなく、経験的なモノや想像による想定も含まれている。
特に対話の時にも、相手の考えを自分の頭の中にモデル化して、その動きを考えながら対話する人もいる。このような人は、思いやりがあり、理解力のある人と言われるようになる。
人間は色々な経験をする。このような経験の積み重ねは、円滑な仕事を進めるためには重要である。しかしながら、一つの経験を深めることができる人間、応用を利かせることができる人間と、そうでない人間との差は大きい。
経験を深めることは、一つの経験をしっかり考えて、理論で説明する作業が重要である。一方、広げると言うことは、複数の経験の共通点を探したり、抽象化したりして一般化する。
このような行動を意識する人間は、頭が良いと言われるようになる。
教科書の知識が、現実に使えるようにする例として、例えば自動車教習所の教科書のエンジンの図を考えて見よう。この図は現実のエンジンどれとも同じではないが、現実のエンジンの機能を理解するためには十分な情報を持っている。
また人間の顔は色々多様であるが、目・鼻・口の位置については、皆共通の理解がある。そして顔の図を書けと言えば、それなりの図が描くことができる。
このように、現実と一致しない情報も使えると言うことを知ることが大切である。
頭の良いという条件の中に、本質を理解しうる直観的な能力と言う場合がある。直観の力に関しては、まだ解明されていないことが多い。しかし、3.項目で挙げた、頭の中での経験をしっかり行い、特に人の心を思いやり、相手の立場で考えるような経験をした人に、直観応力が高い人が多いように思う。
以上