共感覚について

 共感覚とは、例えば

「数字を見たとき必ず特定の色がついている」

と言う風に、

「普通に考えると関係無いと思うモノが結びつく」

現象である。

 これは、一部の人たちには自然に現れる。

 さて、ここで私は『普通に』という言葉を、不用意に使った。これが、本当に正しいか、もう少し考えて見たい。

 この問題に、私たちの認識機構が、どのように働いているかという観点から、少し突っ込んでいきたい。例えば、大乗仏教の『唯識』の発想では、

「すべては我が心の展開」

と考えている。これは、暴論に見えるかもしれないが、現実の物事を、例えば眼で見るときにも、今までの経験や知識が影響している。この影響は、意識的に働く場合もある。一例を挙げれば、私たちは『コロナの飛沫』と言うことを、色々な情報の力で解っている。従って、町中で

「咳をしている人」

を見たら、

「コロナの飛沫が飛んでいる」

と言う風に考える。このような「知識の力が働いた認識」がある。

 さて、これをもう少し広げれば、これまでの体験の影響も有るだろう。その中には、忘れてしまった体験もある。

 このような、無意識的に認識に働きかけるモノがあるだろう。これが、共感覚の一つの原因ではないかと思う。