MBA手法を使う人、使われる子

経営学部や学科を卒業した子は、生意気で就職に苦労する、と言う話を聞いたことがある。私の会社生活の経験では、会社の仕事の上で、MBA(経営学修士)の教材などで使っている手法は、便利なものとして使っていた。従って、経営学の出身者は、事務系の学生では、会社向きの人財ではないかと考えていた。もう少し言えば、理学部と工学部の関係で、他の文系学科と経営学を見ていたように思う。

しかし、この反論として、MBA(経営学修士)の資格を取っても、えらそうに言うだけで、会社の実務はできないという話も聞いた。それを考えると、経営学部などでても、就職に苦労するというのも、あるのかなと思ってしまった。

さて、ここでMBA取得者が、なぜ失敗するのか考えてみた。あるところで聞いたジョークに

「MBA取得者を見分けるには、目の中をのぞいてみたらよい。田の字が見えればMBAだ。」

がある。これは、MBAの手法では色々なものごとを、4つに分類することが多いことを皮肉っている。確かに、重要性と緊急性のような2つの次元で評価し、それを高低で分けると4つの箱となる。このような見方で、優先度をつけることは、考え方としては有効である。

しかしながら、現実の複雑さを、いきなり4つのマスに分けて、割り切った見方をすることは、多くのモノを見落としてしまう危険性がある。いろいろと現実に向き合い、真剣に悩んだ末に4つのマスに振り分けるなら、よりわかりやすい整理とし多くの人が認めるだろう。しかし、いきなり4つのマスでしか見ない人間は、生意気なことを言っていると、拒絶されることも多いだろう。

MBA手法を使いこなす人と、使われている子の違いは、このような所にある。

なお、これをもう少し広げて考えてみた。
昔、マルクス主義経済学が日本の大学で、多く存在した。ある人は、大学の9割はマルクス経済学と言っていた。しかし、ソビエトの崩壊に応じて、その研究者は減り、多くの大学は既存教官の退官をまって、マクロ経済・ミクロ経済の形に入れ替えていった。さて、マルクス主義経済学を学んだ学生を、企業は喜んで受け入れたであろうか?
『資本家悪人論』
『社畜』
等と、まじめに働く人間を罵倒する研究室の学生を、能力があるからと言って、採用していたのが現実である。ただし、その時の条件は、
「大学で学ぶことは仕事に関係ない」
であった。

しかし、私が思うに、マルクス主義経済学は、あまりにも現実の一面だけで考えすぎる。金銭的な面だけでの数式評価、このような見方ですべてを説明しようとする姿勢、これが本当に拒絶された理由だと思う。このれを考えると、学生時代の知識だけでなく、物の考え方の基本までが否定されることになる。大学と企業の溝は、このようなものもあるのではと思う。

多様化時代の管理職・総合職

多様化時代の、管理職や総合職は、従来の単一的人材管理とは異なり、業務に対するきめ細かい分解的理解と、個々人の状況に対する配慮の両面が必要である。そのために、総合職希望者は、テイラーの科学的管理法を、きちんと読み込むべきである。『科学的管理法』の反例として持ち出されることが多い『ホーソン実験』は、人間性重視と言われるが実際は作業者への丸投げであり、テイラーの方がきちんと人間観察を行っていたという事実に向き合わないといけない。

また、『セル生産』に関しても、実際はそれを実現できる作業者は、図面をきちんと読める作業者であり、ある程度以上の能力者に限られている。能力が高い人材だけをそろえて、仕事するというなら、管理は最低限でよい。しかし、多様な人材を活用する場合には、業務をきちんと分割し、それに対して自分の部下の能力や、家庭状況を配慮して、負荷処理計画を立てることがスタッフ部門や管理職の仕事である。この時管理職には、人間的魅力より、知的な支配力が重要となる。
またこの時、業務全般を見渡して、改善がきちんとできれば飛躍的に成果が出る可能性がある。このような、能力のある管理職、スタッフとしての総合職が、多様化人材の活性化には有効である。

管理職の立場論

管理職は、一国一城の主として自己の裁量権を持つ。これをしっかり認識しないといけない。投資の権限がある。人材や設備に関する投資もある。人件費を単にコストとみるか、投資とみるかによって大きく違ってくる。
逆にこの自由がない、『名ばかり管理職』を作っている経営は、間違っている。また、管理職は、部下としての立場でもある。従って、自分が預かっている組織の手に余る問題や、権限外の問題は、上司や他部門の助けを得る必要がある。
しかるべき権限を使っても解決できない、これはきちんと表明すべきであり、それに対して上司はきちんと対応すべきである。
「がんばれ」
とだけ言う上司は役割を果たしているとは言えない。